区分けされた小さなお墓「分譲型永代供養墓 縁」がある歴史あるお寺 曹洞宗 新昌寺

About us

住職あいさつ

現代社会は通信技術をはじめ、諸分野において凄まじい勢いで変化しています。

いつの時代においても変化はこの世の理であります。

仏教の諸行無常、すべての存在は流転変化の過程にあり、その中で私たちは生活しています。

今生の終着点は、「死」を迎えるということ。
それはこの与えられた生をどう生きるか。ということであります。

因縁果報と云う言葉が仏教にはあります。

因とは全ての出発点、そして縁とは様々な出会い、環境、それらが整って結果が生まれます。

その結果から報いが生じます。

私たちはこの循環の流れにあります。

この旅路にある日常生活を思うとき、あらためて縁の有難さを感じるものであります。

今現在、急速かつ大きく社会構造、価値観の変化が起こっております。

縁を結ぶ多くの方々の生活の中にあって、依り所となる一寺院、一僧侶として勤めてまいりたく存じます。


住職 岡村 将志

曹洞宗について

仏教は、今から約2,500年前にインド北部のカピラ国の王子であったお釈迦様によって開かれました。
その後、歴代の祖師がたによって相続されて中国を経て日本に伝わり、聖徳太子によって全国に広められました。
鎌倉時代に道元禅師が天台・臨済宗といった既成の仏教思想では飽き足らず、正師を求めて中国(宋)へ渡り、天童山にて如浄禅師と出会い、お釈迦さまから伝えられた正伝の仏法を学ばれたのでした。
帰国された道元禅師は日本曹洞宗の基礎を築き、主著『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』を著しました。
道元禅師から4代目の瑩山(けいざん)禅師によって曹洞宗は全国に広められ、現在では全国に約14,000の寺院があり日本最大の仏教宗派となっています。
曹洞宗では、お釈迦様と高祖道元禅師様・太祖瑩山禅師様を「一佛両祖」と尊称し、信仰のまことをささげます。

教義

私たちは生まれながらにして仏様と同じ心、仏ごころを持っています。
この仏ごころを見極めないで欲張ったり、怒ったり、愚痴を言ったり、あさましい日ぐらしをして苦しみの種子をまいています。
私たちはお釈迦様、高祖様、太祖様の教えを堅く信じ、その教えに導かれて仏ごごろを極め、人間の真の姿に目覚めなければなりません。
自分を忘れて世のため人のために役立つ働きをする。
そこに大きな喜びと幸せを感じる。
この菩薩行に目覚めさせてくだされたご恩に報いる道として、 日常の正しい実践生活を心にかたく誓う。
これが曹洞宗の教えであります。

大本山

曹洞宗には二つの大本山(根本道場)があります。
両大本山は曹洞宗寺院の根本であり、信仰のみなもとであります。
總持寺末の小牧正眼寺が本覚寺の親寺にあたり、総持寺孫末となり寺紋は五三の桐です。

  • 大本山永平寺(福井県)

    大本山永平寺は1244年、道元禅師が45歳のとき、波多野義重(はたのよししげ)公の願いによって、越前国(福井県)に大仏寺(だいぶつじ)を建立し、2年後に永平寺と改められたことに始まります。
    深山幽谷の地にたたずむ山門(さんもん)、仏殿(ぶつでん)、法堂(はっとう)、僧堂(そうどう)、庫院(くいん)、浴室(よくしつ)、東司(とうす) の七堂伽藍(しちどうがらん)では、雲水が道元禅師により定められた厳しい作法に従って禅の修行を営んでいます。

  • 大本山總持寺(神奈川県)

    大本山總持寺は1321年、瑩山禅師が58歳のとき、能登国(石川県)の諸嶽寺(もろおかでら)を定賢律師(じょうけんりっし)より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山(しょがくさん)總持寺と名づけたことに始まります。
    1898年に七堂伽藍を焼失し、1907年に能登から横浜市鶴見へ移りました。
    なお、旧地は總持寺祖院(そいん)として再建され、地域の信仰を集めて今日にいたっています。

アクセス案内

電車の方
JR飯田線 鳥居駅 下車徒歩3分

お車でお越しの方
新東名高速道路 新城I.C.より5分

寺院概要

寺社名 曹洞宗 新昌寺
所在地 〒441-1317 愛知県新城市有海字稲場2
TEL 0536-25-0553
FAX 0536-25-0654
住職 岡村 将志
宗派 曹洞宗
分譲型永代供養墓「縁(えん)」についてのご質問やご依頼は
下記電話番号までご連絡ください。
0536-25-0553